2020.08.28

海外便り№5 堀沢子さん(バハ・カリフォルニア自治大学獣医科学研究所)

堀沢子さん(バハ・カリフォルニア自治大学獣医科学研究所・教授)

※ステイホーム週間中にも動物の飼育、管理は休みなしです。筆者も羊の出産ラッシュに野次馬で立ち会いました。

皆さまはじめまして。私は北メキシコのバハ・カリフォルニア自治大学(州立大学に相当)に勤務しています。2000年に日本からポスドクとして理学部に赴任、医学部勤務を経て、2006年より獣医学部の分子生物学研究室において学部・大学院での教育、研究指導をしています。研究といってもテーマは主に産業動物、野生動物の感染症や人獣共通感染症の診断、予防などで、研究室というよりも検査ラボのような役割の部署です。発生生物学分野の研究は全くしておりませんので、本稿では研究テーマの詳細ではなく、メキシコに来たいきさつ、当地での生活の一端、非・先進国の辺境の田舎の大学ならではの研究の日常などをお伝えします。中南米の国々に興味のある若い研究者の方に参考になれば幸いです。(そんな物好きな人はいないと言われそうですが...)

大学時代は東京工業大学理学部の生化学講座(大島泰郎教授)の有坂文雄先生のもとでT4ファージに関する卒業研究を行い、同大生命理工学部大学院進学後は分子発生生物学講座(星元紀教授・当時)の西田宏記先生(現・大阪大学)のもとでマボヤ初期胚のNotchホモログ遺伝子の単離、発現解析のテーマで学位を取得しました。その後は同じ学部内の細胞発生生物学講座の岸本健雄先生(現・お茶の水大学)にポスドクとして採用されました。日本で所属した研究室が三か所ともすべて教授・助教授の両先生が合同で研究セミナー等で指導するスタイルでしたので、大部屋の雑多な雰囲気の中でいろいろなバックグラウンドを持つ人と同じ時間を共有できたことは貴重な財産と思っています。その経験から、今の所属先でも出身分野が近い同僚の先生(後述するメレディス、ホセ両先生の教え子)と研究室をシェアして大学院生が大部屋で交流しながら、お互い学びあうというスタイルを貫いています。アメリカとの米墨国境の町にいるという物珍しさ、興味深さもあってか、コロンビア、キューバ、ホンジュラス、ニカラグア等々の中南米諸国やアフリカからの留学生もいますし、メキシコ国内のさまざまな州からも院生受け入れ実績があります。最近は学部生への講義(免疫学、細胞生理学等)の負担が大きくてなかなか旅行する時間も取れませんが、職場が国際色、地方色豊かなので話題には事欠きません。

岸本先生の研究室でのポスドク時代にはホヤ胚発生過程での細胞周期制御について細胞生物学的なアプローチでの研究の可能性を探るべく実験を続けていました。野生生物材料の採集、飼育、メンテナンス、慣れない胚実験、解析用の抗体づくりなど一人で始めたものの、結局3年間で何も成果をあげられず契約期限切れとなってしまいました。その後は、学生時代にラテン音楽サークルに属していたこと、趣味のスペイン語に磨きをかけたかったことなどもあり、漠然と中南米の国で働く方法を探しはじめました。とにかく日本を離れたい、研究は二の次、という人間が、再びポスドクにアプライするの今思えば非常によこしまな考えで、研究プロジェクトに専念してもらいたいボスにしてみれば迷惑な話だと思います。そうはいっても学位を持っているという事実以外に社会人としてのスキルもなかったので、研究ポスドクとしてパナマ、メキシコの大学や研究所をいくつか打診したところ、給与付きでというポジティブな返事がもらえたのがバハ・カリフォルニアの大学だったというわけです。大学院時代に同じ国際学会に参加したことがあるというだけのつながりメレディス・グールド(Meredith Gould)先生(故人)が主宰する発生生物学研究室に招聘して下さり、Conacyt(日本学術振興会に相当)のフェローシップを受けることができました。ヒトデ卵の中心体の研究を始めましたが、お恥ずかしい話ですが、再び成果を出せないまま期限切れとなり、半年間は非常勤講師としてで免疫学の講義を担当しつつ実験も続けましたが、その後はホセ先生の紹介で医学部に職を得て、内陸のメヒカリ市に引っ越し、現在に至ります。岸本健雄先生からは、ときおり日本でお会いするたびに「堀さんは、研究やめますと言ってメキシコに渡ったはずなのにまだ続けてるの?」と揶揄(昔話?)されますが、当時「研究は二の次」と思っていたのは事実です。あまり強調するとメレディス先生に夢枕に立たれて叱られそうですが、自分でもまさかその後20年近くメキシコに居残り、究極のワンオペ子育てと大学勤務を両立させて、再びメキシコで逆単身赴任を続けるようになるとは想像すらしませんでした。

メレディス先生はユムシの卵成熟や受精の研究などでカリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)でテニュアまで持っていた方ですが、メキシコ人のホセ・ルイス・ステファノ(Jose Luis Stephano)先生と結婚後メキシコシティに移住、その後、古巣のUCSDに近いバハカリフォルニア州の太平洋岸の港町エンセナダに理学部教授として着任されました。研究室の壁にはアルベルト・セント=ジェルジの言葉"Research is to see what everybody else has seen and think what nobody has thought"が掲げられ、ボランティア卒研生の指導やご自身の研究に熱心に取り組まれていました。ほとんどの大学で卒業研究論文は義務ではないので、研究をしたい学生は基本ボランティア参加でした。最近は状況が違っているようですが、当時スペイン語で学位論文という言うとほぼ学士論文を指しているのを知らず、メレディス先生のラボに"博士課程"学生が何人も在籍すると勝手に勘違いしていた私は、彼らthesis studentが皆学部生だったことで物足りなさを感じましたが、すぐに皆の実験にかける熱意に驚かされました。各自が自由に納得のゆくまで考えで選んだ研究テーマを持っていたというのも大きいように思います。海産動物の発生生物学分野だけでなく、葡萄の病原ウイルス(バハはメキシコ有数のワインの産地)、ダチョウ農場向けの雌雄判定キットの作製、バイオディーゼル、ニワトリやラクダ科のリャマを使った抗体ライブラリー作成などさまざまなテーマで昼夜を問わず実験を進めていました。彼らは卒業後も大学院に所属せず居候しつづけて無給で2-3年、長い人は最長8年のケースもありました。ホセ先生は学生の住むアパートも確保していたので、学生たちが最低限の食費さえまかなえれば自由に実験を続けられる環境がありました。ラボの消耗品もほとんど両先生が自腹を切って入手したり、時には農家や一般人向けセミナーを開催して研究への寄付者を募ったり、もちろん取れるグラントは大小いくつも獲得していました。ホセ先生のモットーはメキシコ革命家のエミリアーノ・サパタがスローガンにしていた農民解放の理念「土地と自由(tierra y libertad)」、農地はそこを耕す農民のものであるべきという言葉です。転じて、洒落で強調されていたのが「ラボと自由」。大学の実験室も、名前だけの責任者、管理者に使い方を指図されるいわれはなく、そのラボで手を動かして実験をし、成果を出し、サイエンスを実践している研究者に所属するべきもの、常々言っていました。少し背景を解説しますと、彼らは着任したばかりの18年前に何もない講義室だった大教室2部屋を廃材やアメリカから払い下げの中古実験機器を元手に、手作り感あふれる立派な細胞生物学実験室として進化させ、コンフォーカル顕微鏡に、DNAシーケンサー、細胞培養室、パッチクランプ法などの電気生理実験室、RI実験区画などまで作っていたのです。にもかかわらず、大学当局からは、まだ利用できる機器を「書類上の耐用期限が過ぎている」という理由だけで処分させられたり(しかも代替品を購入してもらえるわけでもない)、週末や夜の実験をセキュリティー管理上禁止されたり、一つ一つはルールのしっかりした先進国ではあたりまえの理由かもしれませんが、現実は、学生に慕われていた両先生へのやっかみによる嫌がらせも多かったようです。

両先生の研究への情熱ぶりを表すエピソードは限りがないですが、いくつか紹介すると、ステーションワゴンの荷台に子供3人乗せて寝かせながら、夜の間に片道2時間半の道をサンプル持ってアメリカ国境を越え、UCSDにて電顕観察を行い、明け方自宅に戻って、日中は大学での業務ということも良くあったそうです。大学の長期休暇期間には夫婦で率先してUCSDやStanford大学で非常勤講師として主に実験系の講義を担当していました。給与収入を得るためでもありますが、メインの目的は講義終了後は余った試薬、消耗品を担当者が「もうこれ以上は勘弁して!」と言うまで交渉してすべて譲り受け、メキシコ側の大学にてほぼ同じ内容の実習を再現することでした。要請があれば教え子のいる遠方の大学でもどこでも駆けつけて実習を披露し、またその教え子が別の学生たちへという良い連鎖を生みます。私も学生時代には論文やビデオでしか見ることがなかったショウジョウバエの初期胚のin situハイブリダイゼーションや免疫組織染色など実習を手伝いながら実物を目にして、研究の環境が恵まれない中でもできることはたくさんある、と感激したのを覚えています。文章に起こすと大した苦労に感じられないかもしれませんが、20年後の今でも、各種インフラと予算の問題で私たちの現在のラボではそのレベルの実習を大人数の学部生向けに再現することはできませんので、やはり両先生の努力は並外れていました。
※2019年冬メヒカリにて。ウルグアイの研究者(左端)を講師に迎えて、学部生向けにダニ類同定実習を企画した際の一コマ。昔は完全な男社会だった獣医師の世界ですが、最近は獣医学部の入学者の8割を女子が占めることもあります。

先進国では学生が存分に実験をする環境を整えるためにボスがやらなければいけない一番重要なことは当然グラントを取ってくることと思いますが、ラボマネージャーもテクニシャンも居ないメキシコの田舎大学では一番大事なことはとにかく足を使って毎日ラボの内外を見て回ることです。電気、ガス、水道、通信の基盤インフラを確保し、内部、外部のコソ泥・大泥棒対策、ペストコントロール、野犬、洪水、強風対策、などなど日常のトラブル、アクシデントに対応しているだけで時間が過ぎていきます。メヒカリ市では2010年にマグニチュード7.2の地震が直撃し、建物、ラボがその後2年半ほどにわたって補修、建て替えのため使えなかったこともありました。この手の苦労話は膨大になるので詳細は省きますが、メレディス、ホセ両先生の場合は生活サイクルのすべてがラボの維持のため、研究のために回っていました。近隣の中学校、高校の生物学系実験室の設備充実のためにも労をいとわず常に走り回っていました。グラントの予算も雀の涙ほど、自腹を切っての消耗品購入も限りがあるため、UCSDのCore Facilityで期限切れの試薬やキット類を棚卸しすると声がかかれば、何をおいても駆けつけて引き取らせてもらいます。32Pで汚染された遠心機も譲りうけ冷却させて使います。お金をかけずに物を修理、再利用することに関してもメキシコ人は経験豊富です。カリフォルニアのメキシコ系ヒスパニックを指すチカーノ(chicano)という言葉がありますが、そこから派生して"チカナダ"という言葉をこちらでは良く耳にします。「チカナダした」というと「(〇〇が壊れたけど)そこら辺にあるもので代用して適当に修繕した」という意味です。これがまた悪い意味でのいいかげんな修理の場合もあれば、かなりの確率で正規品パーツに見劣りしない機能を発揮する場合もあり感心させられます。実験機器類は電子制御の基盤の修理などはさすがにできませんが、メカニカルな機構であれば何としても修理します。たまには良いハプニングもあり、エンセナダの蚤の市で偶然300ドルほどで入手したディープフリーザーが普通に動いたときは皆で歓喜したものです。去年、ラボの院生の一人がスペインの研究所に3か月ほど滞在する機会があったときにも、滞在先で最初は委縮していた彼が、いろいろチカナダを披露するうちに皆の役に立って自信が持てるようになったと話してくれました。チカナダ経験豊富な学生はラボにとって最大の戦力です。
※大学院生で獣医師のカルロス君。各種感染症を媒介するマダニの幼生の薬剤耐性試験のために、アッセイ用チャンバーを工作中。彼は蚤の市でタダ同然で最新の電子デバイスを発掘してくる名人。

獣医学部に移ってからは、私もラボの実験環境の整備のために、金銭的にもかなりの持ち出しをしつつ、体力、気力の許す限り努力してきたつもりですが、最近は教員数削減に伴う講義時間の倍増などにより、なかなか研究への時間が割けません。そんな中、亡くなったメレディス先生を偲んで隔年で開催される追悼シンポジウムに参加するために古巣のエンセナダを訪れることがモチベーション維持に欠かせないものとなっています。ホセ先生を囲んでのOB会的な意味合いもありますし、大学院生にはポスター発表を通じて獣医学部では触れることの少ない基礎生物学分野の学会の雰囲気を体験してもらう機会でもあります。2016年に大学をリタイアしたホセ先生も、リューマチの足を引きずり、ガンの手術を2度受けながらもなお気力十分、最近は人里離れた海岸の田舎町に土地を買ってプライベートの研究所を作り、一人でDunaliellaという高塩性微細藻類の研究を続けています。年齢的にもあべこべで、おかしな話ですが、会うたびにその圧倒的なハードワークに私の方が元気、やる気をもらっています。
※2019年秋、第5回メレディス先生追悼シンポジウムで生物学科の学生にひたすら熱く語り続けるホセ先生。

今年は、毎年恒例の夏休みの日本への一時帰国もかなわずに、灼熱の砂漠のメヒカリ市で最高気温が50℃にもなる暑さの中で、この原稿を書いています。新型コロナウイルスの世界的流行が落ち着いて、海外との行き来や米墨国境も以前のように自由に往来できるようになることを願っています。その際には、読者の皆さんの中でアメリカ訪問のついでにバハ・カリフォルニアに足を延ばしてみたい、という方がいらっしゃいましたらお気軽にご連絡ください。怖いもの見たさでも歓迎です。「国境の町」メヒカリで、おいしいメキシコ料理や地ビールを堪能してくださっても結構ですし、気候も穏やかな港町エンセナダにはメキシコ国立自治大学(UNAM)の研究所やConcytの高等研究所、バハ・カリフォルニア大学の海洋研究所など研究機関が集中していますので、訪問セミナー、共同研究のコーディネートなどご希望があればお手伝いいたします。

皆様におかれましてもご自愛のほど心よりお祈りしています。とりとめのない長文にお付き合い下さりありがとうございました。
ヒカリ市の米墨国境の壁。国境の検問に向かう運転中の車内から撮影。現在は新型コロナの影響で移動制限があるため以前のように日常的に国境を超えることはできない。
メレディス先生実験室の記念プレート。現在ここではOB教員が、新型コロナウイルスワクチンの開発研究を進めている(メキシコ国内の公募で採択された4件のワクチンプロジェクトの一つ
2020.03.11

海外便り№4 兼子拓也さん(フレッドハッチ癌研究所)

兼子拓也さん(フレッドハッチ癌研究所)

私は、シアトルにあります「フレッドハッチ癌研究所」というところでポスドクをしています。癌研究所の所属ですが、現在の研究内容は癌とは全く関係なく、小型魚類ゼブラフィッシュを用いて神経回路の発生過程を解析しています。シアトルでのポスドクはようやく2年目に突入したところです。シアトルに来る前は、ミシガン大学の博士課程に6年ほど在籍し、アメリカ研究生活は8年目になります。それ以前は、現JSDB会長である武田洋幸先生の研究室で、学部卒業研究および修論研究を行いました。武田先生の研究室で小型魚類を用いた発生生物学に初めて触れ、そのときの感動が、現在の研究人生の方向性を決めるきっかけとなりました。

私は、日本の修士課程在籍中に、アメリカのPh.D.プログラムに出願することを選択しました。しかし、アメリカ留学を望んだのは、研究者として成長したいというような強い意志があったからではなく、ただ単純に、海外で長く生活をしてみたかったからにすぎません。異国の地に観光以外で訪れ、文化の異なる人々と交流することが幼少期からの憧れでした。幸運にも、自分が選んだ研究者としての道のりにとって、海外で暮らすことは、決して不利に働くことでも、著しく困難なことでも無かったため、学生の気楽な身分のうちに留学経験することを決めました。出願準備のために、半年以上も修論研究を中断することになりましたが、ミシガン大学に行けることが決まり、念願であった海外生活を開始することができました。サポートしていただいた方々には感謝の気持ちでいっぱいです。

私が所属したミシガン大学のPh.D.プログラムでは、研究室を入学前に決めておくのではなく、1年目に複数の研究室を体験してから、2年目の初めに配属先を選択します。私がミシガン大学を志望した理由の一つは、その選択肢の多さです。生命科学系の研究室が500以上あり、その中から入学後に自由に選べます。それぞれの研究室の研究対象や実績よりも、自分が楽しんで仕事できる配属先を見つけたかったため、より多くの選択肢が与えられているプログラムに入りました。やはり、言葉の壁を抱えて渡米したため、先生やラボメンバーが自分の片言の英語にも耳を傾けてくれるか、そして英語が不自由でも自分を必要としてくれるかを、一番に重視して研究室を選びました。最終的に、Bing Ye先生の研究室に所属して、神経系の発生を研究することに決めました。Bing先生が教育熱心で、とくに密接な指導を受けられることが期待できたのも決め手となりました。

Bing Ye先生の研究室では、ショウジョウバエを用いて、発生過程の神経細胞が、どのように特定の神経細胞と結びつき神経回路を形成していくのかを解析しました。この研究トピックを選んだ理由は、組織の形成を司る細胞間コミュニケーションに以前から興味を持っていたためです。発生生物学的な視点で解析を進めていきましたが、徐々に、神経系で広く用いられる「光遺伝学」や「カルシウムイメージング」といった技術も取り入れていき、最終的に私の博士論文は神経生理学が中心の内容となりました。神経学の知識はありませんでしたが、Bing先生から手厚い指導を受け、毎日のように議論を重ねることで、神経生物学を基礎から楽しく学ぶことができました。先生からは、研究計画の方法や奨学金申請書の書き方、論文査読の仕方なども教わりました。このような指導教員からの直接的な教育は、アメリカの博士課程の大きな特徴であり、この留学体験が自分の成長に繋がったのは間違いありません。

Ph.D.プログラムで6年過ごしましたが、最後まで英語で苦労しました。学生の間は授業が頻繁で、そこでは積極的な発言が求められます。さらに、日本以上にプレゼン能力が重要視されていて、学生としても研究発表の機会が非常に多いです。2年目にはプレリミナリーエグザムと呼ばれる難しい口頭試験があり、これに合格しないと退学になってしまいます。これらの課題を一つずつこなしていくのに必死の学生生活でした。しかし、アメリカで研究を続ければ続けるほどに、言葉の違いを弱点として感じる必要がないことを実感します。面白い研究さえ続けていれば、みな興味を持って発表を聞いてくれます。研究に対するアイディアやアドバイスは、常に尊重して受け止めてもらえます。研究室が10人以下と比較的小さく、そのためミーティングでも発言しやすかったことが幸いし、同僚からも信頼を持って接してもらいました。自分を受け入れてくれる居場所を作れたことで、英語で苦労しながらも、日々楽しいと思える充実した博士課程となりました。何よりも、留学を通じてでしか出会えない人とミシガンで交流できたことが、私の人生にとって貴重な財産です。言葉の壁を抱えながらポスドクとしてアメリカに残ることを選択したのも、この博士課程の素晴らしい留学体験が主な理由です。

ポスドク先として決めたのは、シアトル・フレッドハッチ癌研究所のCecilia Moens先生の研究室です。この研究室で私は、小型魚類ゼブラフィッシュを実験対象として用いて、迷走神経が構成する反射回路の形成機構を解析することにしました。迷走神経は、脳から伸びて、咽頭部や心臓といった様々な器官に投射しており、咳や嘔吐、心拍数調整などの、機能の異なる多くの反射反応を司っています。迷走神経を構成する多種多様な神経の一つ一つが、どのように発生過程の脳内で識別され、それぞれに異なる反射回路に組み込まれていくのか。この疑問について、私がこれまでに学んだ「発生遺伝学」と「神経生理学」を組み合わせて取り組んでいます。このプロジェクトは自分の発案で始めたので、自由気ままに仕事させてもらっています。今は学生のとき以上に研究に専念できるため、これまでの研究人生の中で一番楽しいです。

ポスドク先選びは選択肢が多すぎてとても迷いました。世界中、どこへでも行きたいところに行けるのがポスドクの特権です。この特権を活かさないのは勿体無いと思い、一年ほど時間をかけてじっくり選びました。最終的にシアトルを選んだのは、西海岸の観光地に数年ほど住んでみたかったという理由も大きいです。しかし、ポスドク先選びで最も重視したのは、発言のしやすい比較的小さな研究室であること、そして、独立したプロジェクトを新規に立ち上げさせてくれる可能性の高い研究室であること、この二点です。過去にポスドクとして在籍していた人が、独立後も互いに競合することなく、それぞれ異なる研究を展開できているのかを基準にして候補を並べていきました。その中でもとくに、自分が修士課程や博士課程で学んだ経験を活かせる場所としてCecilia Moens先生の研究室を選びました。この研究室に所属してまだ一年あまりですが、自分にとって最適な場所であったと実感しています。Cecilia先生からサポートを受けながら、自由に自分のプロジェクトを展開することができ、独立してからのための良い修行になっています。また、現在は5人ほどの小さな研究室であるため、大きい研究室にありがちなポスドク同士の競争からも無縁で、お互いに助け合う居心地の良い研究生活をおくれています。何よりも、研究室内でチームの一員として認めてもらえていることが、私にとって一番幸せなことです。

海外で生活してみたいという願いだけでアメリカに来ましたが、憧れであった場所に自分の活躍できる場所を作れたことが、留学の最大の意義であったと思います。私の研究に興味を持ってくれる人、サポートしてくれる人が身近にいることが、現在この場所で研究を続ける理由であり、より多くの人に面白いと思ってもらえる仕事を生むことが今後の目標です。ポスドク後もアメリカに残り続けるかはわかりません。ただ、この地で研究を通じて、世界中から集まった文化の異なる人々との交流を重ねることが、今の私にとって一番の喜びであり、それは研究者としての成功を目指すこと以上に価値のあることに感じています。
2020.02.18

海外便り№3 五十嵐啓さん(University of California Irvine)

University of California, Irvine
五十嵐 啓 (Kei Igarashi)
www.igarashilab.org
kei.igarashi@uci.edu
■はじめに
私は2016年2月よりUC Irvineにて研究室を主宰しております。アーバイン市はロサンゼルスから南に一時間弱のところにあるベッドタウンで、ロサンゼルス大都市圏の利便性と、郊外の安全・快適さを兼ね備えたところです。UC Irvineは、University of Californiaシステムの一つで、トップ校ではありませんが日本の旧帝大程度の環境が整っています。学会長の武田先生より海外だよりを書いてみませんかとお声がけ頂きましたので、海外に出るというのはどんなことなのかを私個人の視点から記し、若い方へのエールとさせて頂きたいと思います。

■ポスドクとしてノルウェーへ
私は東大理学部の坂野仁先生の研究室で卒研を行い、医学部の森憲作先生の教室で嗅覚生理学研究を行って学位を取得しました。森研究室では、みな博士号を取得後、海外にポスドクとして留学するのが自然な流れでした。そこで私も博士取得後すこし経ってから、2009年にノルウェーのEdvard Moser, May-Britt Moser先生夫妻の研究室ポスドクとして留学することにしました。当時、Moser夫妻はまだ気鋭の研究者で、神経科学分野でもそれほど知られてはおらず、なぜノルウェーなんかに留学するんだ?とよく聞かれました。私してはとても面白い仕事をしているからという理由だけだったのですが。むしろみんなが行くアメリカではないところもよかったのです。
ノルウェーは、北欧に広く見られるように、先進的な男女平等・ライフワークバランスのアイデアが国民に浸透しており、研究以外にも学ぶことが多くありました。研究所は非常に潤沢な資金に恵まれており、時間をかけて大きな仕事をする、というヨーロッパ式の研究スタイルのなか、じっくり時間をかけて研究を進めることが出来ました。ただ、まったくプレッシャーのない中、時間をかけすぎて6年半もノルウェーにいたのは、いまから思えばちょっと長かったかもしれません。ラボ在籍中の2014年のボス夫妻がノーベル医学・生理学賞を受賞した際には、ラボは興奮の嵐でした。しかし、私にとって嬉しかったのは、自分自身のラボを選ぶ目はやはり正しかったのだ、と再確認できたことでしょうか。

■ Job huntingの結果アメリカへ行くことになる
2014年にMoserラボでの研究がまとまり(Igarashi et al., Nature 2014)、job huntingを始めました。Moserラボのポスドクはラボ卒業後はprincipal investigatorとして独立していっていたので、私にとっても独立したポジションを探すのが当然の流れでした。公募の出ていた世界中の大学約50カ所に応募を出したところ、イギリス、アメリカ、日本から面接に来るようにと連絡が来ました。私の考えていた条件は、(0)tenure-track positionであること(大前提)、(1)これまでの研究環境と変わりなく研究が続けられる大学、 (2) 国外ならば日本から直行便がある町、(3)子供の日本語教育のための補習校のある町、(4)治安のよくて住みやすい町、というものでした。最初にオファーを頂いたのは京大白眉でしたが、残念ながら任期5年・スタートアップ資金のほぼ無い特任准教授ポジションでした。次に呼ばれたUniversity College Londonの面接では、「ロンドンで家は買えますか?」と質問して面接官として来ていたRichard Axel先生(前回の海外便りの服部君の先生ですね)の失笑を買ったせいか、あえなく不合格となりました。しかし、ロンドンのような大都市に家族連れで暮らすのは、とても難しいように感じました。その次に面接に呼ばれたのがUC Irvineです。下調べをしたところ、どうやらアーバインは(1)-(4)すべてを満たすとても魅力的な場所のようでした。面接では学科長から最初に「このポジションのスタートアップは6500万円、一切交渉不可。オファーを受けたら1週間以内に返事をしない場合は次の候補にしてしまうから」と宣言され、その後conference形式で8人の候補者が互いに発表しつぶし合うというアメリカの大学としては特殊な面接形式でした。オファーを頂いた際には、もっと研究レベルの高いBaylor Colledgeや日本の理研など、まだ幾つか面接が残っていたのですが、せっかく頂いたオファーです。いろいろ考えることはやめ、他を辞退してアメリカに移ることにしました。振り返ってみて、この判断でよかったと思います。
ポスドクの留学先としてヨーロッパを選びはしたものの、やはり生命科学の絶対的中心地はアメリカです。ヨーロッパの研究者も、みなアメリカを向いて研究をしています。ポスドクをしている間にだんだんと、研究者としてアメリカの科学を見ずには死ねないだろうな、と感じ始めていました。ですので、それ以前のアメリカでの経験なしにアメリカでPIポジションを得ることができたのは幸運でした。

■ラボ立ち上げ
アメリカで独立する多くの日本人は、院生やポスドク時からアメリカに来ており、独立する際にはすでにアメリカの研究システムを熟知しています。私の場合、アメリカ暮らしがそもそも初めて、加えてラボ立ち上げの二重苦でした。PIとして最も重要なのはやはりグラント取得です。アメリカの大学は1-1.5億円のスタートアップ資金が与えられるのが普通ですが、私の場合は上の通りかなり値切られてしまいました。学科長曰く、「startupは鉄砲と三発の弾丸である。これで最初の獲物を捕ったら、あとはそれを売って自分で次の弾を買うべし」と。売る獲物とは論文のこと、次の弾は外部資金のことですね。そんなわけで、グラント書きを始めましたが、これまで日本やノルウェーでは英語でグラントを書くトレーニングなどしたことがありません。一方で周りの研究者は、博士課程・ポスドクの間にNIH fellowship(基本的にグラントと同じフォーマット)を書くトレーニングを長期間受け、独立する頃には十分な経験を積んでいるのです。周回遅れのスタートで、自分はこの国で生き残れるだろうかと、とても不安でした。まず最初に出したのは、ラボを始めて数年以内の人向けのfoundaton grantsです。これらにアイデアを絞りだしながら30以上応募し、4つ取得することができました(計9000万円弱)。最初の一年間は、ほぼグラント書きばかりしていましたので、一年間これだけ書いて4つか...と自分では思ったのですが、周りからは上出来だと言われました。幸いにもJSTさきがけにも採用して頂いたので、日本の研究と接点を保つことができています(学会長の武田先生には、JSTの領域会議でお声がけ頂きました、感謝致します)。NIHのグラントの書き方にも徐々に慣れ、3年目にR01を2つ取得することができました。R01を取ることがテニュア取得条件の一番の鍵ですので、R01をもらえて、アメリカに来てやっと一息つくことが出来ました。とても興奮するような発見もラボで幾つか出てきており、いい論文が書ける段階にそろそろ来ています。
初めはとても不安とストレスの大きいラボ立ち上げでしたが、不安がなければあれだけ働くこともできなかったでしょう。頑張った分は結果として戻って来ました。アメリカでは努力が報われる構造にある程度なっているように感じました。ノルウェーや日本ではなかなかこうは行かなかったでしょう。アメリカのassistant professorがassociate, full professorとほぼ同じ機能を持っていて、同じグラントにアプライすることができ、若手教員にも青天井が用意されている一方、ヨーロッパや日本では世代ごとに異なったグラント(若手の方が少額)が用意されてしまっているためです。

■五十嵐ラボでの研究
私たちの研究室はin vivo electrophysiologyを用い、記憶を司る脳回路機構の研究を行っています。マウスの脳に電極を複数留置し、マウスが記憶を行っている際の海馬・嗅内皮質の神経細胞の活動パターンがどう変化するかを明らかにするというものです。脳科学ではElectrophysiologyで脳活動の記録だけを行うという観察主体の研究が長らく続きましたが、近年脳活動の活動を直接操作できるoptogeneticsが開発され記録と操作手法の双方が可能になり、脳回路の機能同定が可能になり始めています。私のラボのウリは、このelectrophysiologyとoptogeneticsを組み合わせた手法を、記憶の中枢である海馬・嗅内皮質で使い、神経回路レベルで解析している世界で数少ない研究室の一つだということです。研究室のもう一つの特徴は、記憶回路の基礎的なメカニズムだけでなく、この知見を用いてなぜアルツハイマー病の記憶疾患が生じるのかを神経回路レベルで研究していることに研究室のもう一つのフォーカスを向けているということです。神経科学はこれまで膨大な基礎的な知見が蓄積され、そろそろその知見を脳疾患メカニズムの解明に活用する必要があると私は考えています。研究室にはアイデアは沢山あり、資金も揃ってきているのですが、アイデアを実現してくれる人材がまだまだ足りていません。一緒に頑張ってくれる方を常時募集しておりますので、興味を持たれた方はぜひ連絡して下さい。

■海外に留学するということ
この海外だよりのコーナーの読者の方々には、おそらく高校生・大学学部生の若い読者さんもいらっしゃることでしょう。近年、とみに若い方の留学する傾向が低下していると言われていますが、これは残念なことだと感じています。そこで、若い方の参考になればと思い、私自身とって海外に出て何がよかったか(そして何がよくなかったのか)を書きだしてみます。
まず、海外へ出て一番大きかったのは、自分の向上心・野心への抑圧を解放できたことでしょう。日本では、小さい頃からみな知らず知らずのうちに野心を抑圧されている教育を受けているように感じています。「自分勝手」という言葉がいい例でしょう。自分勝手は嫌われますよね。社会構造も抑圧的といっていいかもしれません。ヨーロッパも多少抑圧的です。一方、アメリカではあなたが何をしようと、周りはまったく気にも止めません。基本的にみな自分勝手です。でもそれでいいんです、やったもの勝ちです。抑圧を自分から取り除き、自分の創造性は青天井だ、と自分に思い込ませることは、研究者としてなによりも大切なことの一つではないでしょうか。もし私が留学せずに日本に残っていたら、きっとつまらない研究者になっていたでしょう。
二つ目は、海外へ出て、頼れるものは誰もいない、自分自身の力で生きていくしかないと自覚できたことでしょう。日本にいた間は、研究面では指導教官に、生活面では親にと、頼れるものがたくさんあり、真の独立心が育っていなかったように思います。もし助教として研究室に残ったりしていたら、きっと指導教官の庇護に頼る気持ちを長期間持ったままだったでしょう。一度国をまたぐと、過去の関係にはほとんど頼れなくなるので、何もないところからすべてを構築していく必要があります。そういう状況に自分を置くことも、自分には大きな糧となったように思います。研究室を立ち上げる際は、ゼロから自分の研究を作り上げていかなければいけません。野心と独立心は、研究者にとって大変重要なメンタリティーで、私の研究室の大学院生・ポスドクを見ていますと、この二つが十分育つことがよい研究者になる必要条件であるように感じています。
よくなかったこと...親や旧友に頻繁には会えないこと。しかし、いまはスカイプがありますし、これは国内で離れたところに住んでいれば同じことでしょう。アメリカに留学すると食事がおいしくない(「メシマズ」)と揶揄する声を時々耳にしますが、そんな人にはノルウェー留学をしたあとにアメリカに移ることをぜひおすすめします。アメリカ(特に西海岸)は天国ですよ!
留学するメリットが、第一線の科学を経験することにあり、日本の科学がトップレベルになった現在そのようなメリットは失われたと思う方もいらっしゃるかもしれません。しかし、留学の最大のメリットは自分自身のメンタリティーのさらなる育成にあり、これはいつの時代でも必要なことではないかと思います。


■終わりに
日本では、若い方のあいだで、研究者になるのは苦労が多く、報われないキャリアパスなのではないか、という忌避感が生まれているように最近感じています。博士課程では無給、教員になっても薄給、雑務が多く、研究費もじり貧。。。しかし、一番の問題は、私と同年代以上の教員の方々にも切迫感が漂いはじめていることではないでしょうか。大変だ、大変だ、と上の世代が言っていたら、下の世代は付いてくるのをためらいますよね。私たち前を走るものが、「研究者って楽しくてたまらない!」という後ろ姿を見せ続けることが、後に続く世代を引きつけるのではないでしょうか。私が学生の頃は、先生方はとても楽しそうにしておられましたし、そんな先生方をみて、自分もあんな風になりたい、と思ったものです。そんなわけで、アメリカでの研究稼業がどれだけ楽しくてたまらないかを少々。日本の先生方、決して自慢したい訳ではありませんので、どうぞ気を悪くされないでください。
まず大学院生にとって、アメリカは天国です。博士課程に入れば、十分生活出来る程度の給料(年300万円程度)は補償されますし、授業料はボスが出してくれます(ちなみに、ノルウェーの大学院生なら年に600万円もらえ、子供が生まれれば1年の有給育休も付きますので、ノルウェーの大学院生は非常にお勧めです)。ポスドクの給料は日本とそれほど変わりませんが、ポスドク後の教員採用や企業就職の可能性は日本より遙かに高いので将来におびえることはありません。
大学教員になれば、assistant professorでも一軒家が買える程度のそれなりの給料がもらえますし、グラントを取れば数百万円の単位で給料を上げることもできます。シニア教員になれば年収2000-3000万円はもらえますし、一度テニュアを取れば定年はないので、この給料をもらいながら死ぬまで研究を続けることもできます。以上が生活基盤。研究面では、assistant professorレベルでもNIH R01 (1.3億円、5年間、更新可能)を数個とることが可能ですし、科学の中心地に身を置いて自分の研究を好きなだけ進めることができます。講義、事務仕事、会議もそれほど多くはなく、80%程度の自分の時間をサイエンスに集中することができます。どうです、楽しいことばかりでしょう?
海外での経験は、ほぼ間違いなくあなたをより良い研究者に育てるはずです。海外でのサイエンスが楽しそうだと思ったあなた、ぜひ留学しませんか!!研究留学について相談をしたい方は時間の許す限り返事をするように致しますので、メールを送って下さい。
2020.01.31

海外便り№2 後藤彰さん(ストラスブール大学)

所属:ストラスブール大学、フランス国立科学研究所(CNRS)、昆虫自然免疫モデルユニット(M3I; UPR9022)
University of Strasbourg, CNRS, Insect Models of Innate Immunity (M3I; UPR9022).
タイトル:ショウジョウバエをモデル生物として用いた自然免疫シグナル伝達経路の研究

 現在、私はフランス国立保健衛生医学研究所(INSERM)の主任パーマネント研究員として、フランス・ストラスブール大学で働いています。名古屋大学院時代は、故・北川康雄教授および門脇辰彦准教授の下で、ショウジョウバエの培養細胞から、ヒトの血液凝固因子の一つであるvon Willebrand factor(vWF)と相同性を有するHemolectin(Hml)を発見しました(Goto et al., 2001 and 2003)。この博士研究をきっかけにして、自然免疫の研究分野に魅了されました。当時から有名であったPr. Jules Hoffmann(2011年ノーベル医学生理学賞を受賞)に直談判の手紙を書き、ポスドクとしてPr. Jean-Marc Reichhartのチームで働きました。その間、ショウジョウバエの自然免疫経路の一つであるImmuno deficiency (IMD)経路の活性化に関わる新規核内因子Akirinを同定しました(Goto et al., 2008)。日本に帰国後は、理化学研究所の藤井慎一郎先生のもとで、哺乳類を用いた自然免疫研究について多くのことを学びました。この経験を生かして、またショウジョウバエを用いた研究に戻り、東北大学の倉田祥一朗教授のもとで、細胞内寄生細菌リステリアの感染防御に関わるListericinを見つけました(Goto et al., 2011)。その後、フランスに戻り、Pr. Jean-Luc Imlerと共に、抗ウイルス反応に関わる新しい経路(dSTING-dIKKβ-NF-κB)とその経路が調節する新しい抗ウイルス因子Nazo(謎)を同定しました(Goto et al., 2018)。
 このように私は、これまで自然免疫シグナル伝達経路の分子機構の解明を目的として、様々な病原菌(細胞外細菌、カビ、細胞内細菌、ウイルス)を用いて研究を続けてきました。学位取得後から、ポスドクと特任助教を経て11年後にポジションを取りました。苦しかった時期もありますが、多くの興味深い研究テーマに携わることによって、たくさんのことを学び経験を積むことができました。当研究室は、ショウジョウバエおよび蚊を用いた自然免疫の研究に精通した有能な研究者が多く所属しています。ほぼ毎週、研究所内セミナーや招待講演セミナーなども開かれ、日本を含め外国との共同研究も盛んに行われています。
 ストラスブール市は、 45万人ほどの中規模都市ですが、多くの歴史的な建物もあります。旧市街のプティットフランス、欧州会議場、大聖堂など、見どころ満載です。 美味しいワインとアルザス料理も楽しめます。ドイツのケール市は車で15分ほどで、ドイツの美味しいビールや料理も楽しめます。住みやすい街です。
 2015年にはHDRも取得したので、少人数ではありますが、新しく抗がん免疫の研究プロジェクトに挑戦しています。興味深いデータも出始めてきたので、現在ポスドクを募集中です。ご興味のある方は、是非ご連絡ください!

主な論文:
1.Goto A*, Okado K, Martins N, Cai H, Barbier V, Lamiable O, Troxler L, Santiago E, Kuhn L, Paik D, Silverman N, Holleufer A, Hartmann R, Liu J, Peng T, Hoffmann JA, Meignin C, Deaffler L, Imler JL*. The kinase IKKβ regulates a STING and NF-κB-dependent antiviral response in Drosophila. Immunity 49:225-234. (2018) * Corresponding authors.
2.Goto A*, Fukuyama H, Imler JL, Hoffmann JA. The Chromatin Regulator DMAP1 Modulates Activity of the Nuclear Factor κB (NF-κB) Transcription Factor Relish in the Drosophila Innate Immune Response. J. Biol. Chem. 289:20470-20476 (2014) * corresponding author
3.Goto A, Yano T, Terashima J, Iwashita S, OshimaY, Kurata S. Cooperative regulation of the induction of the novel antibacterial Listericin by PGRP-LE and the JAK-STAT pathway. J. Biol. Chem. 285:15731-15738 (2010)
4.Goto A, Matsushita K, Gesellchen V, Kuttenkeuler D, Takeuchi O, Hoffmann JA, Akira S, Boutros M, Reichhart JM. Akirins are highly conserved nuclear proteins required for NF-κB-dependent gene expression in drosophila and mice. Nat. Immunol. 9:97?104 (2008)
5.Goto A, Blandin S, Royet J, Reichhart JM, Levashina EA. Silencing of Toll pathway components by direct injection of double-stranded RNA into Drosophila adult flies. Nuc. Acid Res. 31:6619-6623 (2003)
6.Goto A, Kadowaki T, Kitagawa Y. Drosophila hemolectin gene is expressed in embryonic and larval hemocytes and its knock down causes bleeding defects. Dev. Biol. 264:582-591 (2003)
7.Goto A, Kumagai T, Kumagai C, Hirose J, Narita H, Mori H, Kadowaki T, Beck K, Kitagawa Y. A Drosophila hemocyte-specific protein, hemolectin, similar to human von Willebrand factor. Biochem. J. 359:99-108 (2001)
2020.01.06

海外便り№1 服部太祐さん(University of Texas Southwestern Medical Center)

University of Texas Southwestern Medical Center
Departments of Physiology and Neuroscience

Assistant Professor 服部太祐(Daisuke Hattori)

Web: www.utsouthwestern.edu/labs/hattori/
Email: daisuke.hattori@utsouthwestern.edu
日本発生生物学会員の皆様、こんにちは。私は東大理学部生物学科の平良眞規先生の研究室にて卒研を行って学士を修了し、UCLAのLarry Zipursky先生の研究室で博士を取得しました。その後、Columbia大学のRichard Axel先生の研究室でポスドクをし、約一年前よりUT SouthwesternのDepartments of Physiology and NeuroscienceでAssistant Professorとしてラボを運営しています。

私が生物学に興味を持ったきっかけは、当時私立東海高校の生物教諭だった宮地祐司先生の授業を受けたことでした。宮地先生は、教科書に載っている事象はどのような実験を経て立証されたのか、という観点から授業をされました。この授業を通して、観察に基づき仮説を立て、実験をデザインし、結果を検証する、という研究活動のロジックの面白さに感銘を受けました。特に分子生物学と神経科学に興味を持ちました。感情・記憶・思考など人間性の根幹を規定する脳の機能まで、分子でできた神経回路の活動によって制御されている。その仕組みを知りたい、という好奇心が、研究職を目指した原点です。

大学では神経の初期発生を勉強したいと思い、卒研生として平良先生の研究室でアフリカツメガエル予定中脳後脳境界領域に特異的に発現するbHLH型転写抑制因子XHR1の下流遺伝子の同定に関わりました。初めて自分の手を動かしての研究は、信じられないほど面白く、またジャーナルクラブなどでの議論もとても刺激的で、研究をずっとやっていきたい、と確信することとなりました。とても未熟だった私に、時間を惜しまず丁寧にご指導くださった平良先生、並びに平良研の先輩・後輩の先生方には、この場を借りて深くお礼を申し上げます。

大学卒業後は修士課程で平良研に3ヶ月在籍したのち、米国カリフォルニア州ロサンゼルスにあるUCLAの博士課程に進学しました。博士課程からアメリカへ来た理由は二つあります。一つ目はサイエンスです。平良研在籍まもない頃、国際発生生物学会がちょうど日本国内、京都で開催され、私も参加することができました。その基調講演でCory Goodman先生の軸索誘導の話を聞き、神経回路形成の分子機構にとても興味を持ちました。二つ目はアメリカの多様性です。私は大学時代に海外をバックパッカーとして貧乏旅行しましたが、その時にアメリカならではの多様性、そしてその多様性に対する寛容さを、直に体験することができました。様々なバックグラウンドを持つ人々が集まる環境で面白い研究をしたい、と思ったのがアメリカ行きを決めた背景でした。

大学院では神経回路形成の分子機構を研究しました。ちょうどZipursky研で38,016種類の一回膜貫通型タンパク質アイソフォームを選択的スプライシングによりコードするショウジョウバエの遺伝子、DSCAM1が同定された頃で、この分子の軸索誘導における役割の研究が盛んに行われていました。私はアイソフォーム多様性の神経回路形成における機能をテーマに研究しました。この研究を通して、DSCAM1アイソフォームの多様性は、個々のニューロンに特異的な分子標識を与え、それによってニューロンが自己と非自己を認識し分けることを可能にしていることが分かりました。このDSCAM1アイソフォームによる選択的自己認識とその結果生じる反発シグナルは、一つのニューロンから枝分かれする軸索末端や樹状突起がそれぞれ交差せずに効率良く標的領域に分布する現象、self-avoidance(自己交差忌避)を制御しています。のちの研究で、脊椎動物ではProtocadherin(Cadherin-related neuronal receptors)の多様性がDSCAM1と同様の作用機序を介してself-avoidanceを担っていることが分かっています。従って、ショウジョウバエを使った研究によって神経回路形成における種を超えて重要な現象の分子機構が明らかにされた、と言えると思います。

大学院卒業後は神経回路の構造とその機能を研究したいと思い、米国ニューヨークのColumbia大学、Richard Axel先生の研究室にポスドクとして加わりました。Axel先生は、生物学はもちろん、古典や文学にも大変造詣深く、またとてもユーモラスな方で、先生に会うのが楽しみな毎日を送ることができました。研究はショウジョウバエの嗅覚系においてどのように学習がなされ、その記憶が形成されるか、という命題をもとに行いました。学習・記憶に重要なキノコ体神経回路構成ニューロンの包括的同定をJanelia Research Campusの麻生能功先生と共同研究で行い、また、はじめて経験する匂いと既知の匂いとを識別する神経回路のドーパミン依存的作用機序を、新しい行動実験系の確立と一細胞単位での神経活動の記録・改変をもとに明らかにしました。ポスドクの時の仕事の詳細は日本神経科学会の2月号ニュースに研究室紹介として寄稿したので、そちらを参照ください。

これらAxel研におけるポスドク研究の結果をもとにアメリカで職探しをし、昨年末より研究室の運営を始めました。UT Southwesternはテキサス州ダラスの街にあります。テキサス、というと荒野が延々と続いている西部劇のような印象を持っていたため、大都市ばかりに住んだあとだったこともあり、一抹の不安もありました。しかし実際に来てみると、ダラスは全米第4の人口を誇る都市圏の中心都市で、いくつも美術館・劇場がある文化的な街であると分かりました。人種多様性も高く価値観もリベラルで、アメリカ大都市ならではの自由な気風を感じられます。UT Southwesternはノーベル賞学者を今までに6人輩出しているメディカルスクールで、特に若手研究者への支援が手厚いことで知られています。この良い環境を生かして、オリジナリティーとインパクトのある研究を、楽しくやっていきたいと思っています。研究室の方向性としては、動物がどのように予測外の現象を効率的に感知するのか、また、動物の内的欲求が、どのように欲求対象の探索行動を制御するのか、という命題をもとに、その作用機序を新しい行動実験系の開発と、分子・神経活動の記録・改変を通して、分子・細胞・神経回路のレベルで明らかにしていきたい、と思っています。それ以外にも様々な研究テーマがありますので、大学院・ポスドクなど興味のある方は気軽に連絡ください。また近くにお立ち寄りの際にはラボ見学など歓迎します。どうぞ、声を掛けてください。

最後となりますが、恩師の先生方、お世話になった同僚・共同研究者の先生方、また、このメッセージの執筆をお誘いいただいた、東大理学系研究科長・日本発生生物学会長の武田洋幸先生に、心よりお礼を申し上げます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
実験中のラボメンバー