海外だより№3 五十嵐啓さん(University of California, Irvine)

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海外だより№3 五十嵐啓さん(University of California, Irvine)

海外だより№3 五十嵐啓さん(University of California, Irvine)

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University of California, Irvine
五十嵐 啓 (Kei Igarashi)
www.igarashilab.org
kei.igarashi@uci.edu

■はじめに
私は2016年2月よりUC Irvineにて研究室を主宰しております。アーバイン市はロサンゼルスから南に一時間弱のところにあるベッドタウンで、ロサンゼルス大都市圏の利便性と、郊外の安全・快適さを兼ね備えたところです。UC Irvineは、University of Californiaシステムの一つで、トップ校ではありませんが日本の旧帝大程度の環境が整っています。学会長の武田先生より海外だよりを書いてみませんかとお声がけ頂きましたので、海外に出るというのはどんなことなのかを私個人の視点から記し、若い方へのエールとさせて頂きたいと思います。

■ポスドクとしてノルウェーへ
私は東大理学部の坂野仁先生の研究室で卒研を行い、医学部の森憲作先生の教室で嗅覚生理学研究を行って学位を取得しました。森研究室では、みな博士号を取得後、海外にポスドクとして留学するのが自然な流れでした。そこで私も博士取得後すこし経ってから、2009年にノルウェーのEdvard Moser, May-Britt Moser先生夫妻の研究室ポスドクとして留学することにしました。当時、Moser夫妻はまだ気鋭の研究者で、神経科学分野でもそれほど知られてはおらず、なぜノルウェーなんかに留学するんだ?とよく聞かれました。私してはとても面白い仕事をしているからという理由だけだったのですが。むしろみんなが行くアメリカではないところもよかったのです。
ノルウェーは、北欧に広く見られるように、先進的な男女平等・ライフワークバランスのアイデアが国民に浸透しており、研究以外にも学ぶことが多くありました。研究所は非常に潤沢な資金に恵まれており、時間をかけて大きな仕事をする、というヨーロッパ式の研究スタイルのなか、じっくり時間をかけて研究を進めることが出来ました。ただ、まったくプレッシャーのない中、時間をかけすぎて6年半もノルウェーにいたのは、いまから思えばちょっと長かったかもしれません。ラボ在籍中の2014年のボス夫妻がノーベル医学・生理学賞を受賞した際には、ラボは興奮の嵐でした。しかし、私にとって嬉しかったのは、自分自身のラボを選ぶ目はやはり正しかったのだ、と再確認できたことでしょうか。

■ Job huntingの結果アメリカへ行くことになる
2014年にMoserラボでの研究がまとまり(Igarashi et al., Nature 2014)、job huntingを始めました。Moserラボのポスドクはラボ卒業後はprincipal investigatorとして独立していっていたので、私にとっても独立したポジションを探すのが当然の流れでした。公募の出ていた世界中の大学約50カ所に応募を出したところ、イギリス、アメリカ、日本から面接に来るようにと連絡が来ました。私の考えていた条件は、(0)tenure-track positionであること(大前提)、(1)これまでの研究環境と変わりなく研究が続けられる大学、 (2) 国外ならば日本から直行便がある町、(3)子供の日本語教育のための補習校のある町、(4)治安のよくて住みやすい町、というものでした。最初にオファーを頂いたのは京大白眉でしたが、残念ながら任期5年・スタートアップ資金のほぼ無い特任准教授ポジションでした。次に呼ばれたUniversity College Londonの面接では、「ロンドンで家は買えますか?」と質問して面接官として来ていたRichard Axel先生(前回の海外便りの服部君の先生ですね)の失笑を買ったせいか、あえなく不合格となりました。しかし、ロンドンのような大都市に家族連れで暮らすのは、とても難しいように感じました。その次に面接に呼ばれたのがUC Irvineです。下調べをしたところ、どうやらアーバインは(1)-(4)すべてを満たすとても魅力的な場所のようでした。面接では学科長から最初に「このポジションのスタートアップは6500万円、一切交渉不可。オファーを受けたら1週間以内に返事をしない場合は次の候補にしてしまうから」と宣言され、その後conference形式で8人の候補者が互いに発表しつぶし合うというアメリカの大学としては特殊な面接形式でした。オファーを頂いた際には、もっと研究レベルの高いBaylor Colledgeや日本の理研など、まだ幾つか面接が残っていたのですが、せっかく頂いたオファーです。いろいろ考えることはやめ、他を辞退してアメリカに移ることにしました。振り返ってみて、この判断でよかったと思います。
ポスドクの留学先としてヨーロッパを選びはしたものの、やはり生命科学の絶対的中心地はアメリカです。ヨーロッパの研究者も、みなアメリカを向いて研究をしています。ポスドクをしている間にだんだんと、研究者としてアメリカの科学を見ずには死ねないだろうな、と感じ始めていました。ですので、それ以前のアメリカでの経験なしにアメリカでPIポジションを得ることができたのは幸運でした。

■ラボ立ち上げ
アメリカで独立する多くの日本人は、院生やポスドク時からアメリカに来ており、独立する際にはすでにアメリカの研究システムを熟知しています。私の場合、アメリカ暮らしがそもそも初めて、加えてラボ立ち上げの二重苦でした。PIとして最も重要なのはやはりグラント取得です。アメリカの大学は1-1.5億円のスタートアップ資金が与えられるのが普通ですが、私の場合は上の通りかなり値切られてしまいました。学科長曰く、「startupは鉄砲と三発の弾丸である。これで最初の獲物を捕ったら、あとはそれを売って自分で次の弾を買うべし」と。売る獲物とは論文のこと、次の弾は外部資金のことですね。そんなわけで、グラント書きを始めましたが、これまで日本やノルウェーでは英語でグラントを書くトレーニングなどしたことがありません。一方で周りの研究者は、博士課程・ポスドクの間にNIH fellowship(基本的にグラントと同じフォーマット)を書くトレーニングを長期間受け、独立する頃には十分な経験を積んでいるのです。周回遅れのスタートで、自分はこの国で生き残れるだろうかと、とても不安でした。まず最初に出したのは、ラボを始めて数年以内の人向けのfoundaton grantsです。これらにアイデアを絞りだしながら30以上応募し、4つ取得することができました(計9000万円弱)。最初の一年間は、ほぼグラント書きばかりしていましたので、一年間これだけ書いて4つか...と自分では思ったのですが、周りからは上出来だと言われました。幸いにもJSTさきがけにも採用して頂いたので、日本の研究と接点を保つことができています(学会長の武田先生には、JSTの領域会議でお声がけ頂きました、感謝致します)。NIHのグラントの書き方にも徐々に慣れ、3年目にR01を2つ取得することができました。R01を取ることがテニュア取得条件の一番の鍵ですので、R01をもらえて、アメリカに来てやっと一息つくことが出来ました。とても興奮するような発見もラボで幾つか出てきており、いい論文が書ける段階にそろそろ来ています。
初めはとても不安とストレスの大きいラボ立ち上げでしたが、不安がなければあれだけ働くこともできなかったでしょう。頑張った分は結果として戻って来ました。アメリカでは努力が報われる構造にある程度なっているように感じました。ノルウェーや日本ではなかなかこうは行かなかったでしょう。アメリカのassistant professorがassociate, full professorとほぼ同じ機能を持っていて、同じグラントにアプライすることができ、若手教員にも青天井が用意されている一方、ヨーロッパや日本では世代ごとに異なったグラント(若手の方が少額)が用意されてしまっているためです。

■五十嵐ラボでの研究
私たちの研究室はin vivo electrophysiologyを用い、記憶を司る脳回路機構の研究を行っています。マウスの脳に電極を複数留置し、マウスが記憶を行っている際の海馬・嗅内皮質の神経細胞の活動パターンがどう変化するかを明らかにするというものです。脳科学ではElectrophysiologyで脳活動の記録だけを行うという観察主体の研究が長らく続きましたが、近年脳活動の活動を直接操作できるoptogeneticsが開発され記録と操作手法の双方が可能になり、脳回路の機能同定が可能になり始めています。私のラボのウリは、このelectrophysiologyとoptogeneticsを組み合わせた手法を、記憶の中枢である海馬・嗅内皮質で使い、神経回路レベルで解析している世界で数少ない研究室の一つだということです。研究室のもう一つの特徴は、記憶回路の基礎的なメカニズムだけでなく、この知見を用いてなぜアルツハイマー病の記憶疾患が生じるのかを神経回路レベルで研究していることに研究室のもう一つのフォーカスを向けているということです。神経科学はこれまで膨大な基礎的な知見が蓄積され、そろそろその知見を脳疾患メカニズムの解明に活用する必要があると私は考えています。研究室にはアイデアは沢山あり、資金も揃ってきているのですが、アイデアを実現してくれる人材がまだまだ足りていません。一緒に頑張ってくれる方を常時募集しておりますので、興味を持たれた方はぜひ連絡して下さい。

■海外に留学するということ
この海外だよりのコーナーの読者の方々には、おそらく高校生・大学学部生の若い読者さんもいらっしゃることでしょう。近年、とみに若い方の留学する傾向が低下していると言われていますが、これは残念なことだと感じています。そこで、若い方の参考になればと思い、私自身とって海外に出て何がよかったか(そして何がよくなかったのか)を書きだしてみます。
まず、海外へ出て一番大きかったのは、自分の向上心・野心への抑圧を解放できたことでしょう。日本では、小さい頃からみな知らず知らずのうちに野心を抑圧されている教育を受けているように感じています。「自分勝手」という言葉がいい例でしょう。自分勝手は嫌われますよね。社会構造も抑圧的といっていいかもしれません。ヨーロッパも多少抑圧的です。一方、アメリカではあなたが何をしようと、周りはまったく気にも止めません。基本的にみな自分勝手です。でもそれでいいんです、やったもの勝ちです。抑圧を自分から取り除き、自分の創造性は青天井だ、と自分に思い込ませることは、研究者としてなによりも大切なことの一つではないでしょうか。もし私が留学せずに日本に残っていたら、きっとつまらない研究者になっていたでしょう。
二つ目は、海外へ出て、頼れるものは誰もいない、自分自身の力で生きていくしかないと自覚できたことでしょう。日本にいた間は、研究面では指導教官に、生活面では親にと、頼れるものがたくさんあり、真の独立心が育っていなかったように思います。もし助教として研究室に残ったりしていたら、きっと指導教官の庇護に頼る気持ちを長期間持ったままだったでしょう。一度国をまたぐと、過去の関係にはほとんど頼れなくなるので、何もないところからすべてを構築していく必要があります。そういう状況に自分を置くことも、自分には大きな糧となったように思います。研究室を立ち上げる際は、ゼロから自分の研究を作り上げていかなければいけません。野心と独立心は、研究者にとって大変重要なメンタリティーで、私の研究室の大学院生・ポスドクを見ていますと、この二つが十分育つことがよい研究者になる必要条件であるように感じています。
よくなかったこと...親や旧友に頻繁には会えないこと。しかし、いまはスカイプがありますし、これは国内で離れたところに住んでいれば同じことでしょう。アメリカに留学すると食事がおいしくない(「メシマズ」)と揶揄する声を時々耳にしますが、そんな人にはノルウェー留学をしたあとにアメリカに移ることをぜひおすすめします。アメリカ(特に西海岸)は天国ですよ!
留学するメリットが、第一線の科学を経験することにあり、日本の科学がトップレベルになった現在そのようなメリットは失われたと思う方もいらっしゃるかもしれません。しかし、留学の最大のメリットは自分自身のメンタリティーのさらなる育成にあり、これはいつの時代でも必要なことではないかと思います。


■終わりに
日本では、若い方のあいだで、研究者になるのは苦労が多く、報われないキャリアパスなのではないか、という忌避感が生まれているように最近感じています。博士課程では無給、教員になっても薄給、雑務が多く、研究費もじり貧。。。しかし、一番の問題は、私と同年代以上の教員の方々にも切迫感が漂いはじめていることではないでしょうか。大変だ、大変だ、と上の世代が言っていたら、下の世代は付いてくるのをためらいますよね。私たち前を走るものが、「研究者って楽しくてたまらない!」という後ろ姿を見せ続けることが、後に続く世代を引きつけるのではないでしょうか。私が学生の頃は、先生方はとても楽しそうにしておられましたし、そんな先生方をみて、自分もあんな風になりたい、と思ったものです。そんなわけで、アメリカでの研究稼業がどれだけ楽しくてたまらないかを少々。日本の先生方、決して自慢したい訳ではありませんので、どうぞ気を悪くされないでください。
まず大学院生にとって、アメリカは天国です。博士課程に入れば、十分生活出来る程度の給料(年300万円程度)は補償されますし、授業料はボスが出してくれます(ちなみに、ノルウェーの大学院生なら年に600万円もらえ、子供が生まれれば1年の有給育休も付きますので、ノルウェーの大学院生は非常にお勧めです)。ポスドクの給料は日本とそれほど変わりませんが、ポスドク後の教員採用や企業就職の可能性は日本より遙かに高いので将来におびえることはありません。
大学教員になれば、assistant professorでも一軒家が買える程度のそれなりの給料がもらえますし、グラントを取れば数百万円の単位で給料を上げることもできます。シニア教員になれば年収2000-3000万円はもらえますし、一度テニュアを取れば定年はないので、この給料をもらいながら死ぬまで研究を続けることもできます。以上が生活基盤。研究面では、assistant professorレベルでもNIH R01 (1.3億円、5年間、更新可能)を数個とることが可能ですし、科学の中心地に身を置いて自分の研究を好きなだけ進めることができます。講義、事務仕事、会議もそれほど多くはなく、80%程度の自分の時間をサイエンスに集中することができます。どうです、楽しいことばかりでしょう?
海外での経験は、ほぼ間違いなくあなたをより良い研究者に育てるはずです。海外でのサイエンスが楽しそうだと思ったあなた、ぜひ留学しませんか!!研究留学について相談をしたい方は時間の許す限り返事をするように致しますので、メールを送って下さい。

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