海外だより№5 堀沢子さん(バハ・カリフォルニア自治大学獣医科学研究所)

SPECIAL MESSAGE

海外だより№5 堀沢子さん(バハ・カリフォルニア自治大学獣医科学研究所)

海外だより№5 堀沢子さん(バハ・カリフォルニア自治大学獣医科学研究所)

HORI.jpg

堀沢子さん(バハ・カリフォルニア自治大学獣医科学研究所・教授)

ステイホーム週間中にも動物の飼育、管理は休みなしです。筆者も羊の出産ラッシュに野次馬で立ち会いました。

皆さまはじめまして。私は北メキシコのバハ・カリフォルニア自治大学(州立大学に相当)に勤務しています。2000年に日本からポスドクとして理学部に赴任、医学部勤務を経て、2006年より獣医学部の分子生物学研究室において学部・大学院での教育、研究指導をしています。研究といってもテーマは主に産業動物、野生動物の感染症や人獣共通感染症の診断、予防などで、研究室というよりも検査ラボのような役割の部署です。発生生物学分野の研究は全くしておりませんので、本稿では研究テーマの詳細ではなく、メキシコに来たいきさつ、当地での生活の一端、非・先進国の辺境の田舎の大学ならではの研究の日常などをお伝えします。中南米の国々に興味のある若い研究者の方に参考になれば幸いです。(そんな物好きな人はいないと言われそうですが...)

大学時代は東京工業大学理学部の生化学講座(大島泰郎教授)の有坂文雄先生のもとでT4ファージに関する卒業研究を行い、同大生命理工学部大学院進学後は分子発生生物学講座(星元紀教授・当時)の西田宏記先生(現・大阪大学)のもとでマボヤ初期胚のNotchホモログ遺伝子の単離、発現解析のテーマで学位を取得しました。その後は同じ学部内の細胞発生生物学講座の岸本健雄先生(現・お茶の水大学)にポスドクとして採用されました。日本で所属した研究室が三か所ともすべて教授・助教授の両先生が合同で研究セミナー等で指導するスタイルでしたので、大部屋の雑多な雰囲気の中でいろいろなバックグラウンドを持つ人と同じ時間を共有できたことは貴重な財産と思っています。その経験から、今の所属先でも出身分野が近い同僚の先生(後述するメレディス、ホセ両先生の教え子)と研究室をシェアして大学院生が大部屋で交流しながら、お互い学びあうというスタイルを貫いています。アメリカとの米墨国境の町にいるという物珍しさ、興味深さもあってか、コロンビア、キューバ、ホンジュラス、ニカラグア等々の中南米諸国やアフリカからの留学生もいますし、メキシコ国内のさまざまな州からも院生受け入れ実績があります。最近は学部生への講義(免疫学、細胞生理学等)の負担が大きくてなかなか旅行する時間も取れませんが、職場が国際色、地方色豊かなので話題には事欠きません。

岸本先生の研究室でのポスドク時代にはホヤ胚発生過程での細胞周期制御について細胞生物学的なアプローチでの研究の可能性を探るべく実験を続けていました。野生生物材料の採集、飼育、メンテナンス、慣れない胚実験、解析用の抗体づくりなど一人で始めたものの、結局3年間で何も成果をあげられず契約期限切れとなってしまいました。その後は、学生時代にラテン音楽サークルに属していたこと、趣味のスペイン語に磨きをかけたかったことなどもあり、漠然と中南米の国で働く方法を探しはじめました。とにかく日本を離れたい、研究は二の次、という人間が、再びポスドクにアプライするの今思えば非常によこしまな考えで、研究プロジェクトに専念してもらいたいボスにしてみれば迷惑な話だと思います。そうはいっても学位を持っているという事実以外に社会人としてのスキルもなかったので、研究ポスドクとしてパナマ、メキシコの大学や研究所をいくつか打診したところ、給与付きでというポジティブな返事がもらえたのがバハ・カリフォルニアの大学だったというわけです。大学院時代に同じ国際学会に参加したことがあるというだけのつながりメレディス・グールド(Meredith Gould)先生(故人)が主宰する発生生物学研究室に招聘して下さり、Conacyt(日本学術振興会に相当)のフェローシップを受けることができました。ヒトデ卵の中心体の研究を始めましたが、お恥ずかしい話ですが、再び成果を出せないまま期限切れとなり、半年間は非常勤講師としてで免疫学の講義を担当しつつ実験も続けましたが、その後はホセ先生の紹介で医学部に職を得て、内陸のメヒカリ市に引っ越し、現在に至ります。岸本健雄先生からは、ときおり日本でお会いするたびに「堀さんは、研究やめますと言ってメキシコに渡ったはずなのにまだ続けてるの?」と揶揄(昔話?)されますが、当時「研究は二の次」と思っていたのは事実です。あまり強調するとメレディス先生に夢枕に立たれて叱られそうですが、自分でもまさかその後20年近くメキシコに居残り、究極のワンオペ子育てと大学勤務を両立させて、再びメキシコで逆単身赴任を続けるようになるとは想像すらしませんでした。

メレディス先生はユムシの卵成熟や受精の研究などでカリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)でテニュアまで持っていた方ですが、メキシコ人のホセ・ルイス・ステファノ(Jose Luis Stephano)先生と結婚後メキシコシティに移住、その後、古巣のUCSDに近いバハカリフォルニア州の太平洋岸の港町エンセナダに理学部教授として着任されました。研究室の壁にはアルベルト・セント=ジェルジの言葉"Research is to see what everybody else has seen and think what nobody has thought"が掲げられ、ボランティア卒研生の指導やご自身の研究に熱心に取り組まれていました。ほとんどの大学で卒業研究論文は義務ではないので、研究をしたい学生は基本ボランティア参加でした。最近は状況が違っているようですが、当時スペイン語で学位論文という言うとほぼ学士論文を指しているのを知らず、メレディス先生のラボに"博士課程"学生が何人も在籍すると勝手に勘違いしていた私は、彼らthesis studentが皆学部生だったことで物足りなさを感じましたが、すぐに皆の実験にかける熱意に驚かされました。各自が自由に納得のゆくまで考えで選んだ研究テーマを持っていたというのも大きいように思います。海産動物の発生生物学分野だけでなく、葡萄の病原ウイルス(バハはメキシコ有数のワインの産地)、ダチョウ農場向けの雌雄判定キットの作製、バイオディーゼル、ニワトリやラクダ科のリャマを使った抗体ライブラリー作成などさまざまなテーマで昼夜を問わず実験を進めていました。彼らは卒業後も大学院に所属せず居候しつづけて無給で2-3年、長い人は最長8年のケースもありました。ホセ先生は学生の住むアパートも確保していたので、学生たちが最低限の食費さえまかなえれば自由に実験を続けられる環境がありました。ラボの消耗品もほとんど両先生が自腹を切って入手したり、時には農家や一般人向けセミナーを開催して研究への寄付者を募ったり、もちろん取れるグラントは大小いくつも獲得していました。ホセ先生のモットーはメキシコ革命家のエミリアーノ・サパタがスローガンにしていた農民解放の理念「土地と自由(tierra y libertad)」、農地はそこを耕す農民のものであるべきという言葉です。転じて、洒落で強調されていたのが「ラボと自由」。大学の実験室も、名前だけの責任者、管理者に使い方を指図されるいわれはなく、そのラボで手を動かして実験をし、成果を出し、サイエンスを実践している研究者に所属するべきもの、常々言っていました。少し背景を解説しますと、彼らは着任したばかりの18年前に何もない講義室だった大教室2部屋を廃材やアメリカから払い下げの中古実験機器を元手に、手作り感あふれる立派な細胞生物学実験室として進化させ、コンフォーカル顕微鏡に、DNAシーケンサー、細胞培養室、パッチクランプ法などの電気生理実験室、RI実験区画などまで作っていたのです。にもかかわらず、大学当局からは、まだ利用できる機器を「書類上の耐用期限が過ぎている」という理由だけで処分させられたり(しかも代替品を購入してもらえるわけでもない)、週末や夜の実験をセキュリティー管理上禁止されたり、一つ一つはルールのしっかりした先進国ではあたりまえの理由かもしれませんが、現実は、学生に慕われていた両先生へのやっかみによる嫌がらせも多かったようです。

両先生の研究への情熱ぶりを表すエピソードは限りがないですが、いくつか紹介すると、ステーションワゴンの荷台に子供3人乗せて寝かせながら、夜の間に片道2時間半の道をサンプル持ってアメリカ国境を越え、UCSDにて電顕観察を行い、明け方自宅に戻って、日中は大学での業務ということも良くあったそうです。大学の長期休暇期間には夫婦で率先してUCSDやStanford大学で非常勤講師として主に実験系の講義を担当していました。給与収入を得るためでもありますが、メインの目的は講義終了後は余った試薬、消耗品を担当者が「もうこれ以上は勘弁して!」と言うまで交渉してすべて譲り受け、メキシコ側の大学にてほぼ同じ内容の実習を再現することでした。要請があれば教え子のいる遠方の大学でもどこでも駆けつけて実習を披露し、またその教え子が別の学生たちへという良い連鎖を生みます。私も学生時代には論文やビデオでしか見ることがなかったショウジョウバエの初期胚のin situハイブリダイゼーションや免疫組織染色など実習を手伝いながら実物を目にして、研究の環境が恵まれない中でもできることはたくさんある、と感激したのを覚えています。文章に起こすと大した苦労に感じられないかもしれませんが、20年後の今でも、各種インフラと予算の問題で私たちの現在のラボではそのレベルの実習を大人数の学部生向けに再現することはできませんので、やはり両先生の努力は並外れていました。

HORI01.jpg

2019年冬メヒカリにて。ウルグアイの研究者(左端)を講師に迎えて、学部生向けにダニ類同定実習を企画した際の一コマ。昔は完全な男社会だった獣医師の世界ですが、最近は獣医学部の入学者の8割を女子が占めることもあります。

先進国では学生が存分に実験をする環境を整えるためにボスがやらなければいけない一番重要なことは当然グラントを取ってくることと思いますが、ラボマネージャーもテクニシャンも居ないメキシコの田舎大学では一番大事なことはとにかく足を使って毎日ラボの内外を見て回ることです。電気、ガス、水道、通信の基盤インフラを確保し、内部、外部のコソ泥・大泥棒対策、ペストコントロール、野犬、洪水、強風対策、などなど日常のトラブル、アクシデントに対応しているだけで時間が過ぎていきます。メヒカリ市では2010年にマグニチュード7.2の地震が直撃し、建物、ラボがその後2年半ほどにわたって補修、建て替えのため使えなかったこともありました。この手の苦労話は膨大になるので詳細は省きますが、メレディス、ホセ両先生の場合は生活サイクルのすべてがラボの維持のため、研究のために回っていました。近隣の中学校、高校の生物学系実験室の設備充実のためにも労をいとわず常に走り回っていました。グラントの予算も雀の涙ほど、自腹を切っての消耗品購入も限りがあるため、UCSDのCore Facilityで期限切れの試薬やキット類を棚卸しすると声がかかれば、何をおいても駆けつけて引き取らせてもらいます。32Pで汚染された遠心機も譲りうけ冷却させて使います。お金をかけずに物を修理、再利用することに関してもメキシコ人は経験豊富です。カリフォルニアのメキシコ系ヒスパニックを指すチカーノ(chicano)という言葉がありますが、そこから派生して"チカナダ"という言葉をこちらでは良く耳にします。「チカナダした」というと「(〇〇が壊れたけど)そこら辺にあるもので代用して適当に修繕した」という意味です。これがまた悪い意味でのいいかげんな修理の場合もあれば、かなりの確率で正規品パーツに見劣りしない機能を発揮する場合もあり感心させられます。実験機器類は電子制御の基盤の修理などはさすがにできませんが、メカニカルな機構であれば何としても修理します。たまには良いハプニングもあり、エンセナダの蚤の市で偶然300ドルほどで入手したディープフリーザーが普通に動いたときは皆で歓喜したものです。去年、ラボの院生の一人がスペインの研究所に3か月ほど滞在する機会があったときにも、滞在先で最初は委縮していた彼が、いろいろチカナダを披露するうちに皆の役に立って自信が持てるようになったと話してくれました。チカナダ経験豊富な学生はラボにとって最大の戦力です。

HORI02.jpg

※大学院生で獣医師のカルロス君。各種感染症を媒介するマダニの幼生の薬剤耐性試験のために、アッセイ用チャンバーを工作中。彼は蚤の市でタダ同然で最新の電子デバイスを発掘してくる名人。

獣医学部に移ってからは、私もラボの実験環境の整備のために、金銭的にもかなりの持ち出しをしつつ、体力、気力の許す限り努力してきたつもりですが、最近は教員数削減に伴う講義時間の倍増などにより、なかなか研究への時間が割けません。そんな中、亡くなったメレディス先生を偲んで隔年で開催される追悼シンポジウムに参加するために古巣のエンセナダを訪れることがモチベーション維持に欠かせないものとなっています。ホセ先生を囲んでのOB会的な意味合いもありますし、大学院生にはポスター発表を通じて獣医学部では触れることの少ない基礎生物学分野の学会の雰囲気を体験してもらう機会でもあります。2016年に大学をリタイアしたホセ先生も、リューマチの足を引きずり、ガンの手術を2度受けながらもなお気力十分、最近は人里離れた海岸の田舎町に土地を買ってプライベートの研究所を作り、一人でDunaliellaという高塩性微細藻類の研究を続けています。年齢的にもあべこべで、おかしな話ですが、会うたびにその圧倒的なハードワークに私の方が元気、やる気をもらっています。

HORI03.jpg

2019年秋、第5回メレディス先生追悼シンポジウムで生物学科の学生にひたすら熱く語り続けるホセ先生。

今年は、毎年恒例の夏休みの日本への一時帰国もかなわずに、灼熱の砂漠のメヒカリ市で最高気温が50℃にもなる暑さの中で、この原稿を書いています。新型コロナウイルスの世界的流行が落ち着いて、海外との行き来や米墨国境も以前のように自由に往来できるようになることを願っています。その際には、読者の皆さんの中でアメリカ訪問のついでにバハ・カリフォルニアに足を延ばしてみたい、という方がいらっしゃいましたらお気軽にご連絡ください。怖いもの見たさでも歓迎です。「国境の町」メヒカリで、おいしいメキシコ料理や地ビールを堪能してくださっても結構ですし、気候も穏やかな港町エンセナダにはメキシコ国立自治大学(UNAM)の研究所やConcytの高等研究所、バハ・カリフォルニア大学の海洋研究所など研究機関が集中していますので、訪問セミナー、共同研究のコーディネートなどご希望があればお手伝いいたします。

皆様におかれましてもご自愛のほど心よりお祈りしています。とりとめのない長文にお付き合い下さりありがとうございました。

HORI04.jpg

ヒカリ市の米墨国境の壁。国境の検問に向かう運転中の車内から撮影。現在は新型コロナの影響で移動制限があるため以前のように日常的に国境を超えることはできない。

HORI05.jpg

メレディス先生実験室の記念プレート。現在ここではOB教員が、新型コロナウイルスワクチンの開発研究を進めている(メキシコ国内の公募で採択された4件のワクチンプロジェクトの一つ