明日のために、その2--年会のあり方につい

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明日のために、その2--年会のあり方につい

明日のために、その2--年会のあり方につい

年会のあり方について

私が最初に参加した発生生物学会の年会は第10回大会だった。今年が第45回大会ということは、何と35回休まずに参加していることになる。学会の生き字引的存在となった今、年会のあり方の変遷について解説し、若い世代に今後の年会のあり方を考える機会としてもらいたい。

年会の形態の変遷

学会の原点--一般口頭発表

1977年、私が学部の3回生になった春、最初に参加した第10回大会は、東京の三菱生命研で行われ、2会場に分かれての一般口頭発表が中心だった。1会場がウニ関連仕事で、もう1会場がそれ以外の生き物を使った仕事--みたいな感じだったのを覚えている。そして、最初の口頭発表をしたのがM2の春の広島での第13回大会(1980)だった。当時の大会では、ポスター発表なぞはなかった。大学院生の発表も1人20分と長かった(教授の発表も学生の発表もみんな20分だった)。発表前にエラく緊張していたのを覚えている。何せ、5分もの質疑応答時間があるからだ。発表の正味の時間も15分と長く、起承転結のある内容でないとブーイングの嵐になるし、発表が終わってからの質疑応答タイムが発表の正念場とも修羅場とも言われていたからだ。分子生物学的手法の導入前だった僕らの世代では、クリアな結果よりも、実験の組み方、結果の考察の仕方などが、争点となった。

ポスター発表の登場と口頭/ポスター発表併用時代の隆盛

ところが、遺伝子クローニング仕事が主流となってくると、遺伝子クローニングの話を20分聞いてもしょうがなく、どちらかというとポスター発表で塩基配列などを見ながら議論する方が有効だ--となり、ついに名古屋での第18回大会(1985)では、全てがポスター発表という形式で行われた。それから、口頭発表とポスター発表の併用システムが主流になった。分子生物学はサイエンスの質のみならず、年会の発表形式にも変化をもたらした。

一般発表から予定講演が主体の形式へ

ポスター発表の導入はあったものの、年会は一般発表が主体であった。一般発表からシンポジウムやワークショップ(これらをまとめて以下には予定講演とする)が主体の年会へと様変わりしたのは最近のことである。それにはいくつかの要因がある。きっかけは、細胞生物学会の合同開催によってもたらされた。合同開催で細胞生物学会のカルチャーだった分野別に口頭発表が行われる形式が導入され、分野ごとに予定講演と一般口頭発表を入れる形式が導入された。もともと発生生物学会には分野を定義するカルチャーはなく、学問に線を引くことは研究の枠をはめてしまうので、してはいけないという暗黙の了解があった。次に予定講演が主体になったもう一つの理由は、国際会議との合同が増えたからだ。国際学会では、どうしても予定講演の質が大会の質を決めることになるので、組織委員会は、できるだけトップの発表を中心にプログラムを組む。その結果、予定講演がプログラムの主となり、一般発表が従属する形でポスター発表となっていった。この傾向に、さらに輪をかけたのが英語化であった。英語化によって、一般口頭発表は年会の片隅へと追いやられていった。ここ数年は、見直しが進み、一般口頭発表をできるだけ入れようとするものの、予定講演を中心にプログラムが組まれていることには変わりない。

何がポイントなのか、小生の意見

このように歴史を振り返ると10年単位くらいで、年会は大きく様変わりしてきたことがわかる。一般会員の口頭発表をするための年会が、いつのまにか英語でやる予定講演が主体の年会に変わってしまった。サイエンスの質的変換が要因だったり、合同年会や国際大会の影響を受けたりして、紆余曲折を経て現在に至っている。若い会員も、これを機会に年会のあり方を考えてもらいたい。ここでは、何がポイントなのか、個人としてはどうのように考えているかを述べておきたい。

研究を枠にはめるような分野別発表はやめた方がよい

発生生物学は生化学、細胞培養、そして遺伝学や分子生物学を取り込みながら、そして、現在もビジュアル化、定量生物学を取り入れながら進化している、いつでも現在進行形の学問だ。生化学会とか分子生物学会のような方法論を合言葉としているのとは違い、発生のメカニズムを知るために、あらゆる方法論を駆使していくところに醍醐味がある。また、細胞分裂の制御と細胞分化の制御は表裏一体化していたりするため、境界は設けず、シームレスな学問として敢えて細分化することなく年会発表を行ってきた。そういった観点から、合同年会でない年は、分野別発表形式ではなく、シームレス発表形式を踏襲すべきではないかと思っている。

コアを予定講演にするのか、一般発表にするのか

先のメールで紹介したように、発生生物学会の年会は、大会委員長の個性を尊重する形で行われてきた。しかし、英語化や国際化したことで、地元の大会組織委員の負担を減らすことを考慮して、地元に限らない中央からの支援も含めた組織委員会が組まれるようになった(これも福岡での細胞生物学会での合同年会の反省を受けて、発生も組織委員会の全国区化がなされた)。その結果、プログラムを作る際に、まずはシンポジウムやワークショップなどの予定講演を決めることから行われ、空いた時間に一般発表をはめ込む形が定着しつつある。しかし、昔の学会の一般口頭発表で鍛えられ、育ててもらった--という実体験をしている身としては、学会としての原点に回帰するのもありではないかと思っている。すなわち、会員の口頭発表を基本として、空いた時間に1セッションくらいシンポジウムを入れるという形式である。特に、この形式を体験したことのない若い会員にはぜひとも経験してもらいたいと切望している。経験した上で、今後の年会のあり方を考えてもらいたいからだ。(英語化・国際化についての議論は、<明日のために、その3>に譲りたい)

おわりに

最後に、神戸の甲南大学で第32回大会(1999)の組織委員(団まりな委員長)をした時に議論となったことを紹介したい。発生生物学隆盛とともに演題数が増え、口頭発表が2会場に限定されていたために、口頭発表希望者の多くにポスター発表に移ってもらうようになっていた頃の話だ。当時から、口頭発表を基本にすべきだと考えていた小生は、口頭発表会場を3会場にして(幸い甲南大学には同じような規模の3会場が隣接していた!!)、口頭発表をポスター発表数より多くする工夫をした。しかし、3会場に分けてしまうと、分野の垣根を作る危険性があり、2会場が学問の細分化を引き起こさないための限界数だと先輩諸氏から批判を受けたのを覚えている。その批判に応えるため、3会場の進行状況を各会場でモニターできるコンピューター・システムを構築するとともに、ビデオ録画しておいて後から聞き逃した発表を聞くことができるシステムを構築した)。しかし、その時、初めて発生生物学会のポリシーを理解した。会場を分けると、組織委員は申し込まれた発表を独善で分類し、無意識にのうちに学問の垣根を作ってしまっていることを。植物離れは、まさにそのような扱いの中からはじまったことを知らされる。前回述べたように、みんなが満足する形式はない。シンポの予定講演者に選ばれた人は良い学会だったと言い、選ばれなかった人は独善の学会だったと言うに違いない。その解決策は、毎回の年会が多様な形式で行われるようにするとともに、個々の会員が年会に何を期待するかの意識を先鋭化することではないかと思っている。

(前回のコメントhttp://www.jsdb.jp/message/p10.html、会長就任時のコメントhttp://www.jsdb.jp/message/p08.htmlについても、上のような観点からもう一度読み直してもらうと幸いである)

(阿形清和 記)