新会長の年頭の挨拶

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新会長の年頭の挨拶

新会長の年頭の挨拶

発生生物学会は何をめざしているのか、
   会員は学会をどのように活かしていくのか

学会の過去---個人的な経験

私が発生生物学会に参加したのは、1977年5月27日の東京での第10回大会だった。教養を終えたばかりの大学3年生の私には、それはもう衝撃的な体験だった。京都から人民列車を乗り継いで町田の駅に着き、節約のため駅から歩いて会場に向かった。エラく遠く、最後は藪こぎして丘の上の三菱生命研にたどりついた。やっと着いたと思ったら、いきなり、Y氏、F氏、H氏の三人の先輩諸氏が『おー、これで四人揃ったと』言って、私をタクシーに乗せようとした。何とマージャンに行くというのである。ドキドキして来た学会で登録する前にいきなり麻雀か---(ありえんだろ)。何とか振り切り、登録をすませて会場に入った。当時は、全てが口頭発表で2会場に分かれて行われていた。これが修羅場だった。田矢洋一氏や井川洋二氏らが、これでもかというほど、発表者にからんでいるのである。今風に言えば、『学会ヤベエ』という感じだった。そして、1980年のM2になったばかりの広島での第13回大会が自分自身の発表のデビュー戦となった。当時は口頭発表の一人の持ち時間が20分もあり、起承転結のあるストーリー性がないとボロクソに言われ、詰めの甘さがあると即に<突っ込み質問>の餌食となった。歯に衣着せぬ討論とハラハラドキドキの緊張感が私の発生生物学会の原体験となった。それから筆頭発表者として口頭発表することにこだわり、『話して議論する年会』で切磋琢磨する中で、科学者としての土台を築いてきた。この間、毎年発表することを目標に学会に接してきた。学会は自分を磨く場だった
それから、34年、まさか自分がその学会の会長になるとは---。年会に34回連続参加した者からみた学会の質的変換について整理して、今後の方向性を探ってみたい。

学会の変遷1--年会の質的転換について

年会の質的転換は、分子生物学的手法の一般化によってもたらされた。遺伝子クローニングと転写調節領域の同定といった発表内容では、議論の沸騰のしようがなくなった。それに伴い、口頭発表の短縮化、ポスター発表の導入へと発表が質的に変化していった。これによって、<個々の会員の口頭発表を基本とした年会>から、個々の会員の発表はポスターが原則になり、<いくつかの個々の研究をまとめて起承転結の形で発表するシンポジウムやワークショップ形式を基本とした年会>へとシフトしていった。『話して議論する年会』から多くの会員には『聞く年会』となり、個々の会員が平等に口頭発表する権利は失われた。さらに、そのような傾向に拍車をかけたのが英語化であった。英語化によって年会は国際シンポジウム化し、<個々の会員が自分の研究発表を通して、自分を磨く場としての学会>の存在価値は急速に薄まった。<先端の情報を得る場としての学会>へと質的転換していった。『話してナンボ』と思っている会員には少し不満の残る状態になっていると察する。

学会の変遷2--学会の役割の質的変換について

昔は、学会での年会発表のバフォーマンスが科研費の審査の基準に大きなウェイトを占めていた。それ故、動物学会から分かれてできた発生生物学会が科研費をとることは長いこと困難であった。なぜなら、発生を含む<動物生理>の分野の審査員は動物学会から選出されていたからだ。日本の発生生物学は、一般の科研費審査とは異なる特定領域研究や重点領域研究を継続的に取得することによって、新しい発生学の推進と若手の育成を行ってきた。それらの充実によって、90年代になって科研費の複合領域の細目の一つとして<発生生物学>の分野が認められ、発生生物学会の会員の中から選挙によって科研費の審査員を出せるようになった。しかし、その時点において、すでに学会は、コミュニティにどうやって国際基準を浸透させていくかに焦点を移していたような気がする。発生生物学会は<研究費をとるためのコミュニティ>の経験を経なかったことが幸いして、<世界基準のサイエンスを展開する環境を作るための学会>へと質的に転換できたのかもしれない。この世界基準にこだわったことが、逆に新学術領域研究に多くの発生関連分野が採択される結果となったのではないだろうか。先代会長達の貢献度は大きい。

学会の現在--学会が示す明解なビジョン

こうやって整理すると、"発生生物学会は、世界へとつながるチャンネルを個々の会員へ提供していくこと"、 "会員は、世界基準の環境の中で自分を磨いていくこと"が、現在の学会の大きな役割となっていると言える。日本サッカーが、世界のトップチームとの試合経験を増やすことで進化しているように、学会は日仏・日米・日独・日英との合同学会を経験する中で、会員は自分達の<世界での立ち位置>を確認し、フロント・サイエンスを展開するために、どこを克服し、どこを伸ばしたら良いのかを見極められるチャンスを提供している。国内の学会に所属しながら、国際基準の経験値を増やしていけるところが発生生物学会の特徴となっている。

学会の未来1---個々の会員の英語への馴れ

しかし、前述したように、<個々の会員が自分の研究発表を通して、自分を磨く場としての学会>としての性格が薄くなっているために、会員の中には、学会の中での立ち位置がはっきりしていない方も多いのではないかと思われる。そこで、個々の会員が、学会が示している明解なビジョンを共有するとともに、学会としても個々の会員へもっと自分の研究を表現できる場を提供すること---の両方が重要となる。英語でやることで、うまく研究を表現できない・議論できないストレスを感じるかもしれないが、そのストレスを解消する努力を積み重ねていくしか、日本のサイエンスの将来はない。より多くの会員が、学会で英語のプレゼンをすることで、英語に<馴れる>ことが重要である。

学会の未来2---攻めの姿勢

世界を目指す---と言うと日本人は鹿鳴館に陥りやすい。学会の目指しているのは、英語化によって独自性の高い研究をより広く世界へ浸透させていくことにある。海外との合同学会を通じて日本のオリジナルな研究を外へドンドン紹介していく。DGDを積極的に活用しながら、世界へ個々の会員の研究を積極的に売り込む、そんな<攻めの姿勢>が全会員に浸透することを期待している。私のように留学経験のない人間は、日本という島国で独自の研究を展開できたというプラスの側面を持つ反面、なかなか世界の発生生物学コミュニティに入ることができなかった苦い経験をもつ。個々人の力ではなかなか掴むことのできない世界のコミュニティに入る契機を、学会が提供してくれる意義は大きい。オリジナリティの高い研究をどんどん国際誌に投稿して、レフェリーとエディターと互角にやりあいながら、世界に発信してもらいたい。また、若い会員は、学会を、世界へとつながるチャンネルとして積極的に利用して、世界へ打って出てもらいたい。

結び

振り返ってみると、学会のHPを活用した情報の一元化(HPの開設、年会費のクレジット決済、Web選挙化を含む)、事務局のプロ化(専属事務員の雇用と事務局の設置)、年会運営の定型化(Webの中央化、要旨登録の定型化)など、これまで多くの学会運営の簡素化・近代化に携わってきた(学会事務センターの破綻処理などもあったな---、DGDのIFの2越えにも貢献したかな---)。今度は、会長として、学会が進化させてきた新しいビジョン、すなわち、学会が世界へ通じるチャンネルとなること--に挑まなくてはならない。具体的な方策については、運営委員会の議論を通じて全会員へフィードバックしていきたい。会員の積極的な姿勢を歓迎。